2010年12月30日

ここ数カ月を振り返って。

本当に久しぶりの更新になってしまった。

怒涛のように過ぎ去った下半期、仕事以外でPCに向かう気力もなく、脳の回転を沈めるお供は毎度の映画と漫画、そしてレコード。

10月頭、古い友人がついに結婚したのでそれのお手伝いでSHAREチームに参加して色々やった。
ナハテラスで飲み食いした後に二次会をDFSで開催。フードコロシアムを貸し切っての大パーティー。主催の本人は「あくまでもSHAREじゃない」と言っていたが、どうみてもSHARE。笑
FPM、TUCKERを迎えての祝い事でとてもハッピーな空間だった。TUCKERは「火はダメです」と言われていて本人も「分かりました」と言っていたようだけど、本番になったら余裕で点火。スタッフが狼狽えたのは言うまでもない。

10月23日、友人からベーコン会の打診を受けてペンションにて煙を撒き散らす。
いつもはもう一人仕込み人がいるのだが、今回は自分だけで準備。冷蔵庫の奥から忘れられた肉が若干数発掘される。とりあえず塩抜きするも、なんともはや奇っ怪な臭いを発するようで、しかしながら食べてみる。ペッペッ、さすがに食えない。
他の仕込み肉は、生のハーブで漬け込んだもの、砂糖の分量を多くしてみたものなど、バリエーションも豊富にスモーク後の味もまずまずだった。
未だに「腹を壊した」という声は耳に入ってきていないので問題なかろう。熟成期間が1ヶ月オーバーでも。

10月26日、イクメン(子育てする男をこう呼ぶらしい)友達(いわゆるパパ友)の結婚10周年を盛大に祝おうと、数カ月前から壮大なドッキリを企画。素人でできる限界以上のことを、時間とお金をかけてやり切ったと思う。
ターゲット夫妻を本部の僻地で目隠しヘッドフォン付きで拉致し、ペンションへ連行。祝の服に着替えさせ、内地から縁者や肉親を呼び、本気の打ち上げ花火までやった。
あとは、飲めや歌えやの大騒ぎ。翌朝には仕事や学校ということで、午前5時の朝帰りを刊行するという強行スケジュールだったが、やっているこっちがもらい泣きしてしまう程だった。
ビデオレター作ったり取材したり楽しかったなぁ。

10月30日、31日の両日はピースミュージックフェスタを手伝った。レポでも書こうかと思うものの、あまりにも多くのことを考えてしまい、そこから一旦逃避するような形で平静を保てた節もあり。
ただ、本当に心から携われてよかったと思うし、最高のグルーヴがそこにはあったと断言できる。言葉で書くと陳腐だが、これは体感しないと分からないことで、やはり自身の目や耳で見聞きすることが何よりも大事なのだと再認識した。
基地もフェスも、ずっと前から始まっていて、これからも続いていく。例えそれが草の根的な動きだとしても、続けていくことは重要だ。
フェスでは様々なアーティストと触れ合い、話をしてとても有意義な時を過ごした。中でもMISSION POSSIBLEの面々との再会と、ソウルフラワーユニオンの中川さんとの対面は印象深かった。

して、フェスを終えて一息つくよりも早く、2日後の11月2日に第2回目のオアシスを開催。スペシャルゲストにOlive OilとZorzi、ゲストにDJ PINを迎え、ライブ要素の強いVJにグラフィティライターをぶつけるライブペイントという構成だった。
そして、自分はあろうことか主催であるにも関わらず、ブッ倒れるという失態をおかし、今でも猛省しているところ。
パーティーには北海道の雄の一人B.I.G.Joe、Kodaiも遊びに来てくれ、Olive君のDJで皆で踊った。自分の記憶はとてもじゃないがあてにならんが…。
本当は、DJ DYEも出演予定だったが都合が折り合わず断念した経緯あり、しかし、またどこかで企画をしようと心に誓う。
オアシスは、自分のアンテナが反応する人や場所や表現をひとまとめにする企画。第1回目の全員ライブ(半分はノイズ)という暴挙をスタートに、これからも色々やっていく所存。

そういえば、11月2日のオアシス数時間前に、SHAREのサポートで入ったKAMIGAKARIのレセプションがあったな。
自分は大きめの紋切りを10枚制作し会場に届けるも、現場との連携が取れておらずアタフタ。おまけにSHAREチームの忘れ物多数でそれへのフォローなど、まったくもってドタバタであった。

さぁ、いよいよ12月で予定も糞詰まり状態になってきているところに、畳み掛けるように友人の結婚式@jiji cafe on Dec 4。
人生で初の「余興」をかますという経験を得る。首謀者が音楽を得意としているにあたり、お歌を披露するということになった。
自分の課題曲はCinematic Orchestraの「To Build a Home」だった。うぉい!いや、いい曲だよ、NINJA TUNEも大好きさ。英語はよく分からないけど、家に帰ろうだの住む場所を作ろうだのと、お祝いの曲としては申し分ないが、如何せん難しい。
本番前の数日間はひたすら練習。会社の休み時間をフルに使って、工事現場の近くで練習。何回か猫を従えた自由人に見られたが、構っていられないほど歌った。
本番では声が震えたよ。皆に「声、高いね」って褒められてんのか何なのかよくわからないコメントを頂く。
余興では他に、踊ろうマチルダの「マリッジイエロー」という曲を大勢で歌い、これは後にちょっとした事件を起こす。それはまた後述。

よし!十分幸せな気分をかみしめたところで、12月4日同日、熱血でのレギュラーパーティーであるクーダムに移動。
この日は、熱血社交場と共同開催として調整していたゲストを招いていた。Fragumentである。
まったく休む暇もなく、小禄→北中城→那覇まで移動して、ずっと控えていたおビールをようやく頂くと何だかヤバい感じに。1ヶ月前のオアシスが脳裏をかすめ「お前やめろ」と命令した。その後はお茶。
Fragmentのライブは言わずもがな。ヒップホップというくくりには属されにくいと言いつつも、フォロワーはちゃんとヒップホップだった。
自分は彼らの後にDJをして、オープンマイクだなどと事前に言ったおかげかなんかで2人くらいいればいいかな?と考えていた飛び入りMCが4〜5人おり、収拾をつけられなくなりそうでミーボさんに丸投げ。マイクをぶち切るという強硬手段に。
でも、自分はとても楽しくて、Fragmentがいたとはいえ県内のMCがテクノのパーティーに集まってくれたことが嬉しかった。
ただ、クーダムのお客さんに耐性がなかったのか、場が引き気味だったのでそれは今後の課題だなぁと。

掻い摘んでようやく最後の出来事に。
去る12月10日、自分は仕事が休みで朝から家のことなどパタパタとやっていた。
ひと通りやった昼下がり、かっての希望だったメヘンディ(確かヘナでのお絵かき)でもやるかと、赤児の入ったお腹に文様を描き始めた。
夕方ころには出来上がり、初めてとはいえ比較的見栄えのするものができて満足していた。そして、いつものお迎えをこなし、飯食わせて風呂入れて寝かして、日課のビデオでも、と見ていた時のこと。
「お腹痛いかも」と妻が言うではないか。そう、もう臨月でパンパンなのだった。
いわゆる陣痛が15分お気になったことを確認し、子供を叩き起しパジャマのまま病院に向かう午前1時半。
2時には到着し、検査だのなんだのしてる内に陣痛の間隔は短くなり、じゃあってんで分娩台に乗っかり、自分と娘2人は慌ただしい病室の片隅で待ちわびていた。
暇だったわけじゃないが、なんとなくツイッターで中継しようと思い、事あるごとにメールで投稿していた。だから、生まれた時間ははっきり残ってる。

12月10日金曜日 午前3時59分 3024グラムの女の子

病院についてから2時間ほどのスピート出産。しかも安産で、産後も問題なし。
今も母子ともに健康で慌ただしい毎日を過ごしている。

あ、もう一つ。
元BUMPというクラブであった現BeGreenという箱が、今年で閉めるという知らせが駆け巡った。
去年の暮のちょうど1年前に一悶着あって、それ以来は熱心に足がむくことはなかった場所なのだが、何だかんだ言って思い入れがあっただけに残念だった。
そして、12月22日に田中フミヤをゲストに招いたパーティーがあり、それに呼ばれていた経緯があったものの一旦は断っていた。理由は子育てだったわけだが。
しかし、もうラストということもあり、嫌な思い出で終わらせたくない気持ちもあって、やっぱり出させてほしいと頭を下げた。
ここ最近のDJではテクノ以外が多かったので、改めて組んだテクノセットはとても楽しかった。
フミヤさんは言うことなくて、心地よい疲れと最高の音で自分の中での最後を迎えられた。
思い残すことがないといえば嘘になる。でも、終わるものにすがったって仕方ない。
今までありがとう、そしてお疲れ様。

来年は、形にするべき事象が多い。
全国規模になってきた、クラブを取り巻く風営法の取り締まり強化。槍玉に上げたれたクラブも経営者も出てきている。
沖縄が発端の様相もあった。逮捕者こそ出ていないが営業停止や廃業に追い込まれたところもある。ビーグリーンとて例外じゃない。
だから、自分はDJとしてオーガナイザーとして諸々の問題に向きあおうと思う。
青少年に良くない影響だとか、違法薬物の温床だとか、悪い側面ばかりがクローズアップされるけど、決してそれだけじゃないのだ。
表裏一体の部分があるのは認める。ただ、一方だけを見て断罪するのはいささか乱暴だ。アート、音楽、人間関係、大切な物もたくさんある。現に自分はそれの恩恵を受け、今でもこうしてDJを続けているし、企画だって打っている。
はっきり言うが、自分が方に触れないということを前提にする以上は、抱えているスタッフや関係者にもさせない。今までそうやってきた。
お偉方や警察方はどうしてもそこをツツキたいっぽい。でもな、違うんだよ。そういうんじゃない人も文化もたくさんある。
自分はそれらの人も物も守りたい。影響力があるわけでもない一介の一般人だけど、やるのとやらないのは違う。
反発するだけが戦い方じゃない。自分はパンクスでもなければ活動家でもない。あくまでもパーティーピープルとして戦いたい。
目には目を、という考え方じゃダメだ。ハッピーなやり方で戦うのだ。

長くなったけど、自分の回顧も含めた記録として記す。
そうそう、前述した「踊ろうマチルダ」に関すること。

2月10日木曜日にjiji cafeでライブをやりますよ。

いやぁ、何ともすごい縁なのだ。それについてはまた今度。


同じカテゴリー(私信)の記事
レベル
レベル(2012-03-15 23:05)

震災とパーティー
震災とパーティー(2011-04-02 19:57)

腹痛
腹痛(2010-09-27 21:11)

深夜のつぶやき
深夜のつぶやき(2010-06-22 04:36)

雨が降ると血が踊る
雨が降ると血が踊る(2010-06-11 20:21)

Posted by KIM at 16:58│Comments(2)私信
この記事へのコメント
来年も面白いことやっていきましょう!!
Posted by トクメイキボウトクメイキボウ at 2010年12月30日 17:38
↑上記同文
Posted by 熱血社交場 at 2010年12月31日 14:25
上の画像に書かれている文字を入力して下さい
 
<ご注意>
書き込まれた内容は公開され、ブログの持ち主だけが削除できます。